高校時代を思い出して
2010年07月14日
つかこうへいさんがお亡くなりになった。
私は小学校4年生から中学校まで演劇部に所属していた。
舞台に立つのは楽しく、台本の中で生きている人たちの経験やセリフでたくさんの気持ち、思いを勉強させてもらった。なにせ、私生活では感情を押し殺していたから感情を出せる舞台は、好きだった。
高校生になってプロの演劇関係者たちと仲良くなったり、手紙でやり取りしたりと、ある意味で私の演劇人生の山場を迎えていた。
劇団わらび座では、ちょびっと舞台に乗ったり(とっても劇中ではないのですが)。
座長さんに「わらび座にくる?」って誘われたりした。
劇団四季では飯野おさみさんに「劇の世界に進むか、大学へ行くのか」と相談をしたこともあった。
もっとも劇団四季の地方回り 「ガンバの冒険」」が終わり、駅へ向かう道々での相談だから、
飯野さんも覚えていないだろうけどね。当時、劇団四季の入団テストを受けてごらんと言われたのよね。
先日、劇団四季のウィキッドを観劇してきた。その日のキャストの中に飯野おさみさんの名前を見つけた。縁があるのかなぁと勝手に思ったりもしたし、ちょっとノスタルジー気味になった。
そして、高校生時代、演劇の経験を思い出した。
高校2年の時、つかこうへいさんの脚本で県大会を優勝し、地区のコンクールへと進んだ。当時、演出担当だった私は、その劇の演出での悩みを手紙でつかさんに送った。
塚さんは、とても丁寧なお返事を下さった。たかが、地方の見も知らない高校生の手紙に真摯にお答えくださった。それがとてもうれしかったし、それに応えようと頑張った。結果、県大会優勝という貴重な経験をさせてもらった。
つかさんと、当時の仲間に感謝。
そして、つかこうへいさんのご冥福を祈る。
私は、いろいろな事情でその世界には進まなかった。
周りの活躍を見ると、うらやましくもあるし、ほんのちょっとだけ後悔もあるかな。あの時、頑張っていいたら…と。
でも、今の生活も嫌いじゃない。それに、そっちに進まなかったから今の私がいるということも大切。
だから、あのころのようにがむしゃらに頑張っていない私を反省しよう。
私は小学校4年生から中学校まで演劇部に所属していた。
舞台に立つのは楽しく、台本の中で生きている人たちの経験やセリフでたくさんの気持ち、思いを勉強させてもらった。なにせ、私生活では感情を押し殺していたから感情を出せる舞台は、好きだった。
高校生になってプロの演劇関係者たちと仲良くなったり、手紙でやり取りしたりと、ある意味で私の演劇人生の山場を迎えていた。
劇団わらび座では、ちょびっと舞台に乗ったり(とっても劇中ではないのですが)。
座長さんに「わらび座にくる?」って誘われたりした。
劇団四季では飯野おさみさんに「劇の世界に進むか、大学へ行くのか」と相談をしたこともあった。
もっとも劇団四季の地方回り 「ガンバの冒険」」が終わり、駅へ向かう道々での相談だから、
飯野さんも覚えていないだろうけどね。当時、劇団四季の入団テストを受けてごらんと言われたのよね。
先日、劇団四季のウィキッドを観劇してきた。その日のキャストの中に飯野おさみさんの名前を見つけた。縁があるのかなぁと勝手に思ったりもしたし、ちょっとノスタルジー気味になった。
そして、高校生時代、演劇の経験を思い出した。
高校2年の時、つかこうへいさんの脚本で県大会を優勝し、地区のコンクールへと進んだ。当時、演出担当だった私は、その劇の演出での悩みを手紙でつかさんに送った。
塚さんは、とても丁寧なお返事を下さった。たかが、地方の見も知らない高校生の手紙に真摯にお答えくださった。それがとてもうれしかったし、それに応えようと頑張った。結果、県大会優勝という貴重な経験をさせてもらった。
つかさんと、当時の仲間に感謝。
そして、つかこうへいさんのご冥福を祈る。
私は、いろいろな事情でその世界には進まなかった。
周りの活躍を見ると、うらやましくもあるし、ほんのちょっとだけ後悔もあるかな。あの時、頑張っていいたら…と。
でも、今の生活も嫌いじゃない。それに、そっちに進まなかったから今の私がいるということも大切。
だから、あのころのようにがむしゃらに頑張っていない私を反省しよう。
Posted by 三毛猫のチョコ at 10:18│Comments(0)
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